本当は怖い「うつ病」|病気を「救い」にする人の末路

この記事の内容

うつ病は苦しい病気であり、絶望そのものであり、まさに「死に至る病」です。

  • ベッドから起き上がれない
  • 何も楽しめない
  • 思考が止まる
  • 生きる気力が消える

重症化すれば日常生活そのものが成立しなくなり、死ぬことしか考えられなくなることもあります。

だからこそ、体の病気と同じように、本来は回復を目指すべきものです。

しかしながら、現代社会(特にインターネット上)においては、「うつ病であることこそが自分のアイデンティティ」という人が少なからず見受けられます。

「この人は本当にうつ病なのだろうか?」

――あなたもそんな疑問を持ったことがあるのではないでしょうか?

「どこか釈然としない……」

――そんな気持ちの悪さを感じた人もいるのではないでしょうか?

私自身、インターネット上でそのような発信を見るたびに、どこか説明しづらい違和感を覚えていました。

そこで、その違和感をどうにかするために、次のような問いを立ててみました。

「では、そのような人がたどり着く場所はどこなのだろう?」

この記事では、それについて考えてみたいと思います。

うつ病の診断名は「救い」になる

うつ病に救われたい――

うつ病の診断を受けたとき、多くの人は安心します。

あなたにも経験があるのではないでしょうか?

今まで苦しくて苦しくて仕方なく、

つらくてつらくて仕方なかった人にとって、

「うつ病」という診断が下されることは大きな「救い」です。

  • 自分はただ怠けているわけではなかった
  • 病気だったのだから仕方のないことだった
  • これで家族や会社の人にもわかってもらえる

これらを「救い」と言わず、何と言えるでしょうか。

私もそうです。

はっきり「うつ病」と診断されたことは(医師から言われたことは)ありませんが、

  • どうか病気であると言ってほしい
  • うつ病だから仕方ないとはっきり言ってほしい

そんな思いを抱えていました。

「救い」からさらなる「救い」へ

上記のような「救い」そのものは、決して悪いことではありません。

うつ病という診断名がつくことにより、次のような「救い」につながることができるからです。

  • 治療
  • 休養
  • 支援
  • 周囲の理解

本来、うつ病の診断は「回復への入り口」なのです。

「回復」とは、すなわち「救い」です。

「救い」に居座る人

本来、うつ病の診断は回復(救い)への入り口です。

ただ、一部の人たちは、どういうわけかそこに居座り続けようとします。

そして問題なのは、そこに居座り続けようというその姿勢です。

「うつ病の自分」こそが、自分自身になっていく

精神疾患と身体疾患の違い

身体疾患と比べ、精神疾患はその人自身の次のようなものと深く結びつく傾向があります。

  • 感情
  • 思考
  • 性格
  • 人間関係
  • 生き方

うつ病の自分が本来の自分自身

うつ病は上記の各項目と深く結びつく傾向があるため、「うつ病を患う自分」がそっくりそのまま「本来の自分自身」とイコールになりやすくなります。

そうなると、次のような自分自身の負の側面をすべて「うつ病」のせいにしたくなります。

  • 失敗
  • 対人トラブル
  • 無気力
  • 生きづらさ

これら負の側面には「うつ病」以外の原因も当然あるはずですが、それを棚上げして「うつ病だから仕方ない」という考えになりやすくなるのです。

仕方ない+頑張ってはいけない=特権的存在

「うつ病だから仕方ない」という考えが世間一般に浸透している「うつ病は頑張ってはいけない」という考えと結びつくと、次のような考えに変化していきます。

  • 自分はもう変わらなくていい
  • 自分は守られるべき特権的存在

このような考え方に染まってしまうと、その人は停滞し始めます。

そして、その「停滞」こそが「うつ病の二次障害」となるのです。

SNSは「病者」でいることを強化する

SNSでは危険・苦痛・対立が関心を引く

さて、SNS全盛の現代社会では、この「うつ病の二次障害」がさらに加速していきます。

なぜなら、SNSでは次のような話題・投稿が強い共感を広く集める傾向があるからです。

  • 病み投稿
  • 希死念慮
  • 生きづらさ
  • 被害者としての感情表出

なお、これらが強い共感を広く集めやすい理由は、人間が本能的に次のようなものに注意を向けやすいためです。

  • 強い感情
  • 危険
  • 不幸
  • 苦しみ
  • 怒り

「危険」や「苦痛」や「対立」といった話題は自らの生存に直結するため、関心を持ちやすいのですね。

大昔の洞穴で生活していた時代、それらの情報に敏感にならないと命の危険があったわけです。

病んでいる自分を表現した方がメリットが大きい

SNSでは、「少し頑張った自分」を表現するよりも「病んでいる自分」を表現した方が、次のようなメリットを得られます。

  • 優しくされる
  • 仲間ができる
  • 承認される
  • 攻撃されにくい

これは確信犯的にそうせずとも、無自覚にそうしていることが少なくありません。

メリットの大きい方を無意識に選ぶこと、それって当たり前のことですもんね。

ただ、その状態が長く続くと、「回復する理由」がなくなっていきます。

そして、回復することが怖くなっていきます。

それが「停滞」であり、「うつ病の二次障害」です。

「回復」が怖くなる

不健康は苦しいはずなのに

あらためて言うまでもなく、本来、病気は治した方がよいものです。

当たり前です。

好きこのんで不健康になる人はいません。

不健康は苦しいからです。

しかし、「うつ病である自分自身」が「本来の自分自身」になると(つまり、うつ病であることが自らのアイデンティティになると)、病気からの回復が怖くなることがあります。

健康が怖くなるのです。

回復したら求められてしまう

いったいなぜ、うつ病からの回復が怖くなるのでしょうか?

それは、回復すると次のようなことを求められ、しなければならなくなるからです。

  • 働くことを求められる
  • 責任が戻る
  • 「普通」を期待される
  • 社会へ戻る必要が出る

今までうつ病のために猶予されてきたこと、あるいは、うつ病のきっかけとなったことに再び対峙しなければならなくなるのです。

うつ病のままの方が安全安心

多くのうつ病の人にとって、上記の対峙は恐怖です。

すると無意識に、「うつ病のままでいた方が安全安心」という思いが生じてきます。

この心理こそが「停滞」の原因であり、すなわち「うつ病の二次障害」の原因です。

そして、これは本当は、対峙よりも怖いことなのです。

人間は「無負荷」では壊れる

筋力は使わなければ衰える

もちろん、うつ病には休養が必要です。

無理をすれば悪化します。

無理をすれば悪化する人は、無理をしてはいけません。

しかし一方、人間は次のものを失い続けると弱っていきます。

  • 役割
  • 小さな責任
  • 社会との接点

たとえば筋力は、使わなければすぐに衰えます。

腰痛の人がコルセットを使いますが、あれを長期間使うと腹筋や背筋が目に見えて衰えます。

私も経験があります。

精神の活動力も使わなければ衰える

精神も筋肉と同じです。

  • 外に出ない
  • 人と関わらない
  • 何もしない
  • 回避し続ける

というような生活を長く続けると、

  • 自信
  • 社会性
  • 行動力
  • 生活能力

が徐々に、しかし確実に低下していきます。

そして低下した結果、「自分には無理だ」という思いがさらに強化されます。

これは非常に危険な循環であり、壊れることを防ぐために選択したはずの無負荷の「デメリット」が、気づけば自分自身を壊していたということになり得るわけです。

本当に怖いのは「うつ病」そのものではない

なってしまったものは仕方ない

うつ病自体は、治療や支援が必要なれっきとした病気です。

それは死に至る病であり、甘く考えてはいけません。

そして、発病しない方が当然よいのですが、すでに発病してしまったのであれば、それはそれでどうしようもありません。

発病してしまったことを悔いても治るわけではなく、そうであればどうにかしてうまく付き合いつつ、今後について模索していくしかありません。

つまり、発病してしまった人にとって、「うつ病になってしまったこと」それ自体はもう問題ではないのです。

怖いのは「うつ病をアイデンティティ化する」こと

避けなければならない問題は、「うつ病であることこそが人生そのもの」になってしまうことです。

本来、診断名は「ここからどう回復していくか」を考えるためのものです。

しかし次のような状態になると、人は少しずつ、しかし確実に前へ進めなくなってしまいます(あるいは、そこは底なし沼かもしれません)。

  • 病気でいることが居場所になる
  • 病気でいることが承認になる
  • 病気でいることが自分自身になる

これが、「うつ病をアイデンティティ化する」ことの本当の怖さです。

「病気であること」が「安全地帯にいること」になってしまうと、あなたはもうどこにも行けず、それどころか底なし沼にジワジワと沈んでいくだけになってしまうのです。

必要なのは「病気以外の自分」を取り戻すこと

うつ病を否定する必要はありません。休養も必要です。支援も必要です。

しかし同時に、「うつ病以外の自分」を少しずつ取り戻していくことも大切です。

  • 小さく動く
  • 少し生活を整える
  • 人と関わる
  • 誰かの役に立つ

そうした積み重ねの中で、人は再び、「うつ病ではない自分」を取り戻していきます。

うつ病になってしまったことは不幸なことではありますが、それは決してあなたの人生そのものではありません。

そこにずっと立ち止まり続けて、利得を得続けようとしてはいけません。

うつ病は免罪符ではありません。

うつ病は特権階級ではありません。

うつ病はコンテンツではありません。

そこで立ち止まり続けるほど、あなたは確実に弱っていくのです。

まとめ

うつ病は苦しい病気であり、絶望そのものであり、まさに「死に至る病」である。

一方、「うつ病であることこそが自分のアイデンティティ」という人が少なからず見受けられる(特にSNS)。

そのような人は「うつ病」と診断されたこと(本来は「回復や救いへの入り口に過ぎない地点」)で満足し、「うつ病」と「自分自身」を同一視している(うつ病を自己アイデンティティ化している)と考えられる。

うつ病を自己アイデンティティ化してしまうと、その先にはもはや何もなく、前に進めないどころか底なし沼にジワジワと沈んでいくだけとなる。

この記事を書いた人

若宮社会保険労務士事務所 鈴木雅人
氏名鈴木 雅人(すずき まさと)
生年月日1980年(昭和55年)4月1日
国家資格社会保険労務士 第10230004号
精神保健福祉士 第26879号
座右の銘人間万事塞翁が馬