「自分なんか必要ない」と悩む人へ

結論

不必要なのは「自分なんか必要ない」という悩みそのもの

必要な人なんかいない

孤独を感じるとき、「自分なんか必要ない」、「自分なんかいらない」と考えてしまいますよね。

そして、余計に落ち込み、余計に寂しくなり、余計に孤独になっていきます。

でも、見方を変えれば、この世界に必要な人なんているでしょうか?

  • 世界の存続のために必ず存在していなければならない人
  • その人がいなければ世界が成り立たないような人
  • その人がいなければ地球の自転が止まってしまうような人

そんな人はいませんよね。この地球上に一人もいません。

そもそも、人間の存在自体が不必要です。そこに必要性はありません。

人類が滅亡しても地球は自転し続けますし、太陽の周りを回り続けます。

それに、人間なんてむしろいない方が、地球という巨大システムにとっては好都合かもしれません。

でも、存在意義を感じられないとつらい

でも、そうは言っても、私たちには、「誰かに必要とされたい」という強い欲求があります。それは、人間としての、おそらくは根源的な、本能的な欲求です。

そして、誰かに認められてこそ、必要とされてこそ、自分の存在意義を感じることができます。自分はここにいていいんだ、生きていていいんだと思うことができます。

では、どうすれば「必要な人」になることができるのでしょうか。

必要とされる状況を無理やりつくる

自分が必要な人間になる方法の一つは、そのような状況をつくることです。

自分が必要とされる状況や場所、すなわち自分の居場所をつくることです。

それは、会社でも、学校でも、地域でも、家庭でも、インターネット上でも、どこでも構いません。

自分の役割を見つけ、そこに居場所を定めます。

ただ、それができるのであれば、そもそも「自分なんか必要ない」と悩むことはないですよね。

それができないからこそ、孤独で寂しい思いをしているわけです。

それに、無理やりつくったところで、結局はそれも虚しいような気がします

そもそも、必要とされる必要がない

結局のところ、あなたは、「自分なんか必要ない」と悩む必要はありません。その悩み自体が不必要です。

私たちは、必要な人間だから生きているわけではありません。

必要だから生まれてきたわけではありません。

何の意味も目的もなく生まれ、何の意味も目的もなく生きています。

そもそも、人類全体としての存在目的や存在理由がありません。

ですから、当然、個々の人間に存在目的や存在理由などありません。あるわけがないのです。

ただ、それでは生きていけないから、あまりに生きていくのがつらく虚しいから、みんな何かしら自分の存在理由を見つけ、居場所を見つけ、自分はそのために存在している・生きていると思い込み、日々生活しているのです。

だから、誰かに必要とされる必要はなく、必要とされなければ生きていてはダメなどということはなく、必要だろうが不必要だろうが、好き勝手に生きていればそれでいいのです。

「誰からも必要とされない」と悩むあなたには、そもそも、誰かに必要とされる必要がありません。それは悪いことではなく、むしろ自由ですばらしいことだと思いますよ。

この記事を書いた人

群馬県前橋市の精神保健福祉士・社労士 鈴木雅人
精神保健福祉士・社会保険労務士
鈴木雅人
氏名鈴木 雅人(すずき まさと)
生年月日1980年(昭和55年)4月1日
国家資格社会保険労務士 第10230004号
精神保健福祉士 第26879号
加入団体群馬県社会保険労務士会
群馬県精神保健福祉士会
群馬県精神保健福祉協会
家族妻と長男
出身地 群馬県前橋市
学歴東海大学体育学部中退
文教大学人間科学部卒業
座右の銘人間万事塞翁が馬

事務所概要

事務所名若宮社会保険労務士事務所
代表者鈴木雅人
所在地群馬県前橋市日吉町4-14-7
電話番号080-7712-2518
メールinfo@wakamiya-sr.com
定休日不定休