損な性格?

この記事の内容

私は、お店の陳列棚に1個だけ残っている「最後の1個」の商品を買うとき、なんとなく後ろめたいような、罪悪感のような、モヤモヤとしたものを感じてしまいます。

ただ、それは何の意味もない実に下らないモヤモヤであり、そんなことを気にしてしまう性格はやっぱり損だよねというお話です。

最後の1個が残っているとき

買い物に行き、目当ての商品を探し、陳列棚にそれを見つけたとします。

そのとき、それが最後の1個だった場合、あなたはどう思うでしょうか?

「1個残ってた!ラッキー!」と思うでしょうか?それとも、別に何も思わないでしょうか?

なんか嫌な気分になる

私の場合、そのどちらでもなく、どうにも嫌な気分になってしまいます。

なぜかというと、自分がそれを買ってしまった後、もし、同じ商品を買いに来た人がいた場合の、その人の「がっかりした気分」を想像してしまうからです。

もちろん、ただ陳列されていないだけで、バックヤードには在庫があるのかもしれません。

在庫がなくても、近隣店舗に行けば同じ商品を買えるのかもしれません。

でも、なんか嫌なのです。

なんとなく後ろめたいような、罪悪感のようなものを感じてしまうのです。

私がそれを買ってしまうことにより、私よりも困っていて早急にその商品を必要としている人が買えなくなってしまう…そういう想像をしてしまうわけです。

では買わないのか?

では、最後の1個しか残っていない場合、私はどうするでしょうか?

買わずに別の店に行くのでしょうか?

それがまた困ったことに、そこまでするわけではないのです。

モヤモヤした気分になりつつ、なんとなく罪悪感を感じつつ、結局はそれを買ってしまうのです。

そして、しばらくするときれいさっぱり忘れ、また次に「最後の1個」に当たってしまったときに、再びなんとなく嫌な気分になるのです。

考えてみれば…

でも、考えてみれば、最後の1個だろうが2個だろうが3個だろうが、あまり関係ありません。

たとえば、商品が3個陳列されていたとして、そのうちの1個を私が買ったとします。

まだ残りが2個あるため、私はモヤモヤを感じず、何の感情もなく買い物を済ませます。

しかし、その後に、私よりもその商品を切実かつ早急に必要としている人が3人買い物に来たとしたら、結局は同じことなのです。

私が買ってしまったばかりに、3人目の人は買うことができくなってしまい、がっかりしてしまうのです。

取り越し苦労は損なだけ

つまり、私は「最後の1個」という点に妙にこだわって下らない心配をしているわけですが、そんな心配はしてもしなくてもどうでもよいのです。何の意味もありません。

こんな風に、「少し考えてみれば何の意味もない本当にどうでもいいこと」を心配してしまう性格の人は、やっぱり損な性格といえるのかもしれませんね。

「もしも…」のことなんてあまり気にせず、取り越し苦労をせず、軽い気分で生きていきたいものです。

この記事を書いた人

群馬県前橋市の精神保健福祉士・社労士 鈴木雅人
精神保健福祉士・社会保険労務士
鈴木雅人
氏名鈴木 雅人(すずき まさと)
生年月日1980年(昭和55年)4月1日
国家資格社会保険労務士 第10230004号
精神保健福祉士 第26879号
加入団体群馬県社会保険労務士会
群馬県精神保健福祉士会
群馬県精神保健福祉協会
家族妻と長男
出身地 群馬県前橋市
学歴東海大学体育学部中退
文教大学人間科学部卒業
座右の銘人間万事塞翁が馬

事務所概要

事務所名若宮社会保険労務士事務所
代表者鈴木雅人
所在地群馬県前橋市日吉町4-14-7
電話番号080-7712-2518
メールinfo@wakamiya-sr.com
定休日不定休