死にたい、自殺したいと言われたら
この記事の内容
家族や友人などの身近な人から「死にたい」「自殺したい」と言われたとき、あなたはどう反応するでしょうか?
「そんなこと言ってはダメ!」、「悲しくなるからそんなこと言わないで!」と突っぱねてはいないでしょうか?
せっかく勇気を出して「死にたい」「自殺したい」と告白したにもかかわらず、そのような反応しか返ってことないことがわかると、本人は殻に閉じこもり、二度とあなたに本音を話さなくなるでしょう。そして、あなたには何も言わないまま、本当に自殺してしまうかもしれません。
では、どうすればよいのでしょうか?
ここでは、「死にたい」という言葉の意味が、「死にたいほど苦しくつらい」、「死にたいほどの苦しみやつらさから逃れたい」というものであると考え、その苦しみやつらさに共感することの大切さについて考えます。
「それはつらいよね」「それだったら私も死にたくなるよ」「そんなの私だったらとっくに死んでるよ、耐えてるなんて偉すぎるよ」などの言葉をかけることができれば、よいのではないでしょうか?
「死にたい」「自殺したい」の意味するところ
「死にたい」「自殺したい」という言葉を口にするとき、その意味するところは、「死にたいほど苦しい」、「死にたいほどつらい」、「死にたいほどの苦しみやつらさから逃れたい」ということだと思います。
「苦しい」「つらい」という言葉では言い表せないほどの苦しみやつらさ、それを表現しているのが「死にたい」「自殺したい」という言葉なのです。
本当に死にたいのかどうかは問題ではない
近しい人から「死にたい」「自殺したい」という言葉を聞いたとき、その人に本当に死ぬ気があるのか、その人が本当に自殺したいと思っているのか、それは問題ではありません。
「生きるか死ぬか」が問題なのではなく、その人が感じている「死にたいほどの苦しさ」、「死にたいほどのつらさ」が問題なのです。もしくは、その人が「死にたいほどの苦しさ」、「死にたいほどのつらさ」に今まさに苦しめられているという事実、それが問題なのです。
よって、身近な人から「死にたい」と打ち明けられたとき、「死ぬ気なんてないくせに!」と考えたり、「本当に死ぬ気なんだろうか?」などと考えても、あまり意味がありません。「死にたい」「自殺したい」と口にせねばならぬほどの「つらさ」や「苦しさ」が何であるのかに焦点を合わせ、話を聞いていく必要があります。
そして、「死にたいほどの苦しさ」、「死にたいほどのつらさ」に共感してもらえたと感じたとき、本人の苦しさやつらさは、ほんの少しかもしれませんが、軽くなるのだと思います。
死にたいと思いながら生きることのつらさ
死にたいと思いながら生きること、それは実につらく苦しいことです。
日中でも夜間でも、目が覚めていればつらく苦しく、かといって眠り続けることもできず、もう二度と目が覚めないことを祈りながら眠りにつくものの、当たり前のように目が覚めてしまい、目が覚めた瞬間に、まだ自分が生きていることに絶望する。
そのように絶望しつつも、生きていれば腹がへり、喉が渇き、食事をしなければならない。社会に参加せず、学校にも仕事にもいかず、何ら生産性のある活動をせずに食事と排泄だけしている自分自身がとても後ろめたく、自己嫌悪を感じ、ますます死にたくなる。そんな毎日の繰り返しです。
内面はもうヘトヘトに疲れ果て、八方塞がりの状況下、どうにかしてこの苦しみから逃れられないかと考えるものの、頭は働かず、どうすることもできません。
身近な人に理解されないつらさ
そのようなとき、たとえば家族や友人に「つらい」「苦しい」と言えば、どうでしょうか?きちんと話を聞いてもらえるでしょうか?
おそらく、仕事に行っている家族や友人から、「何もしていないのに何をふざけたことを言っているんだ!仕事もして家事もして、こっちの方が余程つらく苦しい思いをしている!」と言われてしまうのがオチだと思います。
実際には、死にたいと思いながら生きることは想像を絶するつらさがあるのですが、経験したことのない人にはなかなか理解されません。そして、「つらい」「苦しい」とは口にできなくなってしまい、弱々しく発せられる「死にたい」「自殺したい」という言葉に置き換わっていくのです。
なぜ死にたいほどの苦しみに耐えられるのか?
「死にたい」「自殺したい」という人の苦しみがそれほどまで大きなものであれば、なぜ、彼や彼女はそれほどの苦しみに耐えることができるのでしょうか?
おそらく、それは慣れや耐性があるからだと思います。
24時間365日、絶え間なく死にたいほどの苦しさやつらさと付き合い続けている人は、おのずと防御の方法や身をかわす方法を体得しているはずです。自分独自の苦しさやつらさに対する、自分独自の対処法、やり過ごし方です。
よって、仮に、死にたい人の死にたいほどの苦しみを他人が背負わされたとすれば、その背負わされた人は一瞬で大きな苦しみに押しつぶされてしまうでしょう。
耐えられるのは、長年の経験による慣れや耐性があるからです。逆に言えば、それがなければ一瞬で潰れてしまうほどの苦しみやつらさなのです。
「死にたい」「自殺したい」と口にすることは悪いことじゃない
「死にたい」「自殺したい」と口にしながら生きることは、悪いことでしょうか?
決してそのようなことはありません。
死にたいほどの苦しみやつらさと闘いながら、一生懸命に、それこそ命懸けで生きていくこと、それは本当に険しい道のりです。ため息をつきたくなることもあるでしょう。
「死にたい」「自殺したい」という言葉は、ため息のようなものです。ため息は、こころの換気扇です。
だから、そのような言葉を口にしたからといって、「そんなこと言っちゃダメ!」などと言わないようにしましょう。
換気扇を止めれば、残るのは淀みだけです。
まとめ
身近な人から発せられる「死にたい」「自殺したい」という言葉の意味は、「死にたいほど苦しくつらい(その苦しみやつらさから逃れたい)」というものです。そのため、問題は、生きるか死ぬかの二択ではなく、死にたいほどの苦しみやつらさにあります。
「死にたい」「自殺したい」という言葉を頭ごなしに否定するのではなく、苦しみやつらさを受けとめ、共感や理解をするようにしましょう。それを受けとめてもらえたと感じ、共感や理解してもらえたと感じることができれば、本人の「死にたいほどの苦しみやつらさ」は、軽くなる可能性があります。
そして、それが軽くなれば、本人の生きる力・柔軟な思考力が戻ってきます。
この記事を書いた人
氏名 | 鈴木 雅人(すずき まさと) |
生年月日 | 1980年(昭和55年)4月1日 |
国家資格 | 社会保険労務士 第10230004号 精神保健福祉士 第26879号 |
加入団体 | 群馬県社会保険労務士会 群馬県精神保健福祉士会 群馬県精神保健福祉協会 |
家族 | 妻と長男 |
出身地 | 群馬県前橋市 |
学歴 | 東海大学体育学部中退 文教大学人間科学部卒業 |
座右の銘 | 人間万事塞翁が馬 |
事務所概要
事務所名 | 若宮社会保険労務士事務所 |
代表者 | 鈴木雅人 |
所在地 | 群馬県前橋市日吉町4-14-7 |
電話番号 | 080-7712-2518 |
メール | info@wakamiya-sr.com |
定休日 | 不定休 |